持丸のファンタジー映画感想

基本ネタバレなしのあらすじと感想で構成されています。ファンタジー映画である限りどんなC級であろうと見なければならない呪いにかかっています。記事の頭に画像があるのはリンクで飛べます。

ファンタジー映画感想3 ネバーエンディングストーリー

ネバーエンディング・ストーリー (字幕版)

1984年。

私この話、原作の「はてしない物語」が好きすぎるために半分しか内容のない映画を公平に判断する資格にかけてると思うんです。とりあえず怒り狂っていた当時の感想が以下です。見直して書き直しますね。

 

原作レイプとまでは言わないが原作を読んでくれと絶叫したくなる映画。頑張ってるんですよ。頑張ってるけど肝心の後半がないからそもそも全然違う話になってる。悲しい。あとアトレーユの肌は緑でなくても浅黒くあってほしかった。

 

あらすじ

いじめられっ子のバスチアンははてしない物語という本を万引きしてしまい学校の屋根裏で隠れて読み始める。本の中では世界が崩壊し始めていた。虚無が各地で広がっていく。予言で選ばれたアトレーユという少年は、世界を救う方法を探しに旅に出る。バスチアンのしたことが本の中に影響し始めて。

 

感想

原作読んでくれ。映画だけだとほんと脳みそかっるい能天気でご陽気な薄っぺらいファンタジーなんだけど、原作読むとそうでないから。これはもっと深い話だから。間違えて調子こいて、そのせいで全て失って地に落ちて、そこからさまよって這い上がる話なんだよ。ファンタジーを甘いなんていうな。

お好きな方のためにまず原作ファンがなんでこんな「原作レイプ」なんて強い言葉を使って批判しているか、ご説明しますね。

はてしない物語」って大きく分けると二部構成なんです。前半がアトレーユがおさなごころの君を救う方法を求めてファルコンと旅する話、バスチアンが本を読んでそれを追体験する話です。そしてバスチアンが勇気を出してファンタージエン、映画ではファンタジアですが、そこに行っておさなごころの君に名前を与えるまでが前半なんですね。

 

そして後半、映画でカットされた後半はなんなのかって言うと、アウリン(アトレーユがもらって首からかけていた蛇のネックレスです)を今度はバスチアンがもらうんですよ。バスチアンが願ったことは全て叶います。ただし、元の世界の記憶と引き換えに、です。原作のバスチアンは太った少年で容姿もあんなに可愛らしくはないんです。だからバスチアンはかなり初期に自分の容姿を美しくすることを願います。バスチアンは美しい少年になりますが、それと引き換えに自分が本当は太っていてX脚で容姿のことでコンプレックスを持っていた、と言う記憶を失います。

アウリンの力、願ったことがなんでも叶うと言うのは素晴らしい力ですが素晴らしすぎて恐ろしい力です。何故なら愚かで短絡的な願いも叶えてしまうから。バスチアンはその万能の力に奢って、最初は人を助けるため、良い目的のために力を使いますが次第に自分を守るために力を多用します。彼は英雄になり、王のように振る舞うようになり、その彼を利用しようと悪い企みを持った連中も集まってくる。そしてバスチアンにはそれを見抜く力がないんです。利用された彼はアトレーユやファルコンと対立し、ついには全ての記憶を失い、名前も記憶も持たない者にまで転落します。そして一度は栄華を極めたものの何者でもない者まで落ちたバスチアンはそこから一つ一つ学び、記憶を取り戻し、そして最後は元の世界に帰ってくるのです。それが原作の後半部分。

ね?重要な部分でしょ?でも映画ではこれがない。ただバスチアンが本の中へ行って、ファルコンに乗って、元の世界に戻っていじめっ子たちに仕返しをして溜飲を下げて終わってしまう。こんなバカなエンディングってないですよ。魔法の力でいじめっ子に仕返しして「ああスカッとした、めでたしめでたし」ってこんな短絡的で深みがなくて頭空っぽなめでたしめでたしあります?そりゃ原作者怒りますよ。こんな話じゃないんだから。いじめは悪いことです。許されない。大勢で一人をゴミ箱に突っ込むのは犯罪です。じゃあ、それに対する仕返しに、ただの小学生にドラゴン使って復習するのはどうなんですか?同レベルとは言いませんけれど低俗ですよ。バスチアンがこんなことで「ああスッキリした、良かった良かった」と思うんだったらバスチアンにがっかりします。アホすぎる。

と言うわけで、原作ファンはこの映画を「後半部分がない」と言うことで許せないと思っているわけですが、そこを抜きにして評価してみますね。

 

まず、美術はいいところと悪いところが混在してますね。まず「はてしない物語」の本の装丁がダメ。これ、本の外観についてはっきり原作内で描写してあるんです。赤い絹で想定してあって、2匹の蛇がお互いの尻尾を咥える楕円の中に「はてしない物語」と書いてある、って。それがどう言うわけだか茶色い革の装丁で、蛇は何故か交差しながら尻尾を咥えて、交差しているせいでタイトルがその中に書いていない。なんでこれ変えたの?変える意味がないです。まじで美術の人どうした?木でも狂ったのか?学校の描写はいいと思います。物語の中に入ってからですがハウルの森のシーンは素晴らしいと思います。鬼火族がカットされてますけど映画の時間制限を考えると仕方ないのでいいでしょう。豆小人や岩喰い男、夜魔なんかは描写の通りと言ってよくて、さすがです。素晴らしい。

木蓮宮はなんか違うなって感じですけど許容範囲だと思います。アウリンは例の本の表紙についてる飾りと同じなので私のムカつきポイントです。意味のない改変をするな。あとアトレーユ緑の肌族なのになんで緑じゃねーんだよ。

アルタクスが憂いの沼で死ぬシーンは元々もの言う馬なのに何故か喋れないキャラにされちゃってるんですけどなんで?あのシーンは原作でもかなりショックでみんなの心に残るシーンなんですけど。アルタクスのセリフがすごいんですよ。「もう死にたいんです」「この憂いに耐えきれません」。アトレーユは励ますんですけどアルタクスは大きくなる憂いに耐えられない。最後は死ぬところを見られたくない、とアトレーユに頼んで、アトレーユも了承して泣きながら背を向けるんです。あのシーンはすごかった。憂いが重くて大きくてもう死にたくてたまらない気持ちを知ることができます。あのシーンを読むことで。まぁ今思うとショッキングすぎるから言葉を喋れなくしたのかな。正直あのシーン読むと自殺するってこう言う気持ちだろうかと思わされるので、子供にはショックかな。でも自殺って人生で出会うものだと思うので子供のうちに少し知っておいた方がいい気がしますけど。死にたいと思う人を思いやるヒントになると思うので。

太古の媼モーラもいいビジュアルでした。ファルコンはなんか犬みたいですけどあれでいいと思います。acceptableな改変。エンギウックとウーグルの夫婦は見た目も家の様子も喋り方も本から抜けて出てきたみたいで最高でした。南のお告げ所も良かったと思います。グモルクは当時の技術で言えばOKじゃないでしょうか。

と言うわけで美術については概ね満足なんですよね。だからそう言う意味ではいい映画だと思います。好きな人がいるのもわかる。

 

内容的には浅いな、カスだな、と思いますけれど。あとおさなごころの君、もうちょっと演技上手い女優使えなかったのか、とは思います。時間配分には不満があって、もっと長くしたら後半できたんじゃん?って言うのと、あと多分爽快感を演出するためだと思うんですけどファルコンに乗って「Never Ending Story〜」って歌とともに飛行するシーンがアホみたいに長くありません?いらねーから、この長さ。時間を無駄に使うなよ。と言うわけで原作ファンとしては不満ありありの映画なのでした。この映画好きな人、原作読んでください。なぜ原作ファンがこんなにキレてるかよくわかると思うので。よろしくお願いします。